『男はつらいよ』の撮影も最初の頃は随分大変でした。
だいたい自治体の協力も30作位までは本当になかったように思います。ロケーションマネージャーが市役所に
足を運んだり、警察に許可を取りに行ったりしても、迷惑がられたと聞いています。
地方の方々から「寅さん」に来てほしいという話がくるようになったのは40作位
からだったと思います。県知事や市長さんに、「是非、寅さん映画の撮影に協力した
い」と言っていただけるとは、シリーズの初めのころは考えられないことでした。
しかし、そうした動きと対照的に、地方の町並みや自然がどんどん壊され、日本ら
しい風景がなくなっていきました。
日本全国、いろいろなところで「寅さん」の撮影をしましたが、『寅次郎の青春』
の時は、宮崎県・日南の飫肥や油津を中心とした風景が魅力的で、撮影場所に選んだ
ことを思い出します。宮崎県を選んだ理由はすてきな風景があったからですが、ロケ
に協力していただいた大勢の地元のみなさんの人情のようなものも強く印象に残って
います。単にいい景色だけではなく、その土地の人々の生活を含めた魅力というもの
が、映画にとってはとても大切なのではないでしょうか。
そんな宮崎県での撮影が忘れられず『学校IV』の時にも、主人公の少年が長い旅を
する道程に宮崎を選びました。
麻美れいさんの実家を日向市の郊外に設定したのも、「寅さん」の撮影の時に出会っ
た人たちの人情のようなものを映画に取り込みたいと思ったからです。
日向の地元の青年たちが『山田会』というサークルを作っていて、そこが地域の中
学校の団体鑑賞を企画してくれました。そこまでやってくれるというのは、他の県で
はあまりないことです。
日向市の文化交流センターの広い会場で『学校IV』の上映をやった時は、大勢の中
学生が集まったのですが、その時はぼくも一緒に観ていたんだけれど、場内が暗くなっ
ただけで大きな拍手が起きてびっくりしました。考えてみれば、日向にはもう映画館
がないわけで、この子たちは映画館で映画を観るという体験がないのではないか。大
勢の人が、暗い映画館の中で映画を楽しむという経験を、今この子たちは初めて体験
しているのではないか。そんな場に、映画を作ったぼくたちを立ち合わせてくれたと
いうことは、とてもしあわせなことだと思っています。感謝しています。
宮崎県はとても広い県で、まだまだぼくたちがまだ知らないところがいっぱいある
のではないでしょうか。山間部の高千穂之峰なんかもよく知らないし、これからも魅
力的な風景に出会えるチャンスがたくさんあるように思う。そんな宮崎県の魅力を引
き出しながら、ぼくたちが2回の撮影でお世話になった人たちの仕事が、フィルム・
コミッションという形で今後につながることを期待しています。 |