神話スポット
ニニギノミコトの天孫光臨、アマテラスオオミカミの天の岩戸隠れなど、神話のなかに出てくるエピソードの数々。その伝説と縁のある場所や神社が、県内には数多く点在します。
みそぎ池
古事記に「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわきがはら)」と出てくる、イザナキがみそぎを行った場所。「筑紫」は九州全体をさし、「小戸」は水門を意味します。「橘」「小戸」「阿波岐原」は現在でも宮崎市内の地名として残っています。
オノコロ島
イザナキとイザナミが持つ「天の沼矛」の先からしたたり落ちたしずくが固まってできたと伝えられる島。二神が結婚式をあげたところとも言われています。
天の安河原
アマテラスが天の岩屋に隠れた際に、八百万の神が集まり会議を開いた場所と伝えられる場所。神々への崇拝の気持ちがこめられた無数の小石が積まれています。
神石
東霧島神社の境内にあり、妻の死を悲しんだイザナキが、火の神カグツチを「十握の剣」で三つに切り分けた跡と伝えられています。
霧島・高千穂の峰
ニニギノミコトが、「葦原の中つ国」を治めるために高天原から天孫降臨したとされる場所。県北の高千穂とする説もあります。
都万神社
コノハナサクヤヒメを祀り、地元では「妻萬様」と呼ばれています。
お産の神、縁結びの神。
銀鏡神楽
イワナガヒメが投げた鏡をご神体として奉る銀鏡神社の夜神楽は、国指定の重要無形民俗文化財。
無戸室跡
ニニギノミコトに一夜で懐妊した事を疑われたコノハナサクヤヒメが身の潔白を証明するために、戸の無い産屋で、炎の中で3人の子を生んだ場所。
児湯の池
炎の中で生まれたホオリノミコト(山幸彦)等の三神の産湯に使ったところ。この池の名が児湯郡の地名の由来となったと伝えられています。
男狭穂塚・女狭穂塚
西都原古墳群の中にあり、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの墓と伝えられています。宮内庁直轄地となっています。
鬼の窟古墳
コノハナサクヤヒメを嫁にと願う鬼が、一夜で岩屋をつくるように言われ、完成一歩手前でオオヤマツミノカミが石を1枚抜き取った跡とも言われています。
王楽寺の福智権現
瓜生野の竹篠山にある王楽寺には、ホオリノミコト(山幸彦)がこの地で誕生したと伝えられ、コノハナサクヤヒメを奉る福智権現があります。
大山祇陵
石貫神社から西都原台地につながる石貫階段を登ったところにある前方後円墳で、山の神オオヤマツミノカミの御陵といわれています。
可愛岳
日本書紀にニニギノミコトが亡くなられたとき「筑紫の日向の可愛の山陵に葬りまつる」と記されていることからニニギノミコトご陵墓伝説が残っています。
尾鈴山
ニニギノミコトに先立って、ニギハヤヒノミコトが天磐船に乗って天下ったと伝えられる。大小30ばかりの名瀑と渓谷美に彩られた霊山。
矢研の滝
尾鈴県立自然公園内にある県内唯一の国指定名勝・尾鈴山瀑布群きっての滝。「日本の滝百選」の一つ。落差は73m。神武天皇がご東征の折、矢を研がれたのが名の由来。また、この滝の上流には、ニギハヤヒノミコトが降臨してきた際に乗ってきたといわれる「天の磐船」と名づけられた巨石があります。
青島
山幸彦がワタツミの宮から帰ってきた際にたどり着いたと伝えられる。島内には国指定天然記念物であるビロウ樹5千本が自生しています。周囲は「鬼の洗濯岩」(国指定天然記念物)で知られる波状岩で囲まれており、山幸彦とトヨタマヒメを奉る青島神社があります。
潮の井
海から10キロ以上離れた鹿野田神社(かのだじんじゃ)の境内にあります。ここから湧き出る水は潮の満ち引きに合わせてその水位が上下するといわれています。
高屋山陵
日本書紀には、山幸彦の御陵について「日向の高屋山上陵(たかやのやまのうえのみささぎ)」とあり、西都市の都於郡城跡がその地であるといわれています。
潮嶽神社
山幸彦と争った海幸彦を主祭神とする全国で唯一の神社。山幸彦にこらしめられた海幸彦が満潮の流れに乗ってたどり着き宮居を定めたと伝わっています。
鵜戸神宮
山幸彦とトヨタマヒメの子、ウガヤフキアエズの生誕地と伝えられ、縁結びや安産の神としても知られています。トヨタマヒメが我が子ウガヤフキアエズを思って残したとされるお乳岩や、海から乗ってきた亀がそのまま岩になったとされる亀石があります。
祖母山
神武天皇の祖母であるトヨタマヒメを祀る石の祠が山頂にあり、この山の名前の由来といわれています。標高は1,757m。大蛇伝説も伝わっています。
丸目の乳岩
幼い神武天皇を連れたタマヨリヒメが、狭野の宮に向かう途中、急にお乳を欲しがって泣き始めた神武天皇にこの岩から滴る霊水を飲ませたと言われています。
狭野神社
神武天皇の生誕地として伝えられています。「狭野」の名は神武天皇の幼名「狭野尊(サノノミコト)」に由来します。参道沿いのスギ並木は国指定の天然記念物。
宮崎神宮
神武天皇を主祭神とする宮崎市街地の北にある神社。社伝によれば、崇神天皇の御宇宮殿の御造営。次いで景行天皇熊襲御親征に当り御建宮あり。更に応神天皇の御宇日向国造老男命これを鎮祭、後世、建久8年(1197)地頭土持氏社殿を造営。旧官弊大社。大正2年(1913)7月4日宮崎神宮と改称。
神門神社
百済滅亡の際に都から逃れてきた禎嘉王を祀っています。毎年1月に木城町の比木神社に祭られている王子・福智王が父・禎嘉王に会いに来る祭り「師走祭り」が行われるほか、神社本殿は国指定の重要文化財。また、社宝の銅鏡33面の中には奈良の正倉院所蔵の品と類型の「唐花六花鏡」も含まれています。
都農神社
神武天皇東征の折、国土平定を祈願した宮と伝えられます。縁結び、お産の神である。旧国幣小社。延喜式内社の一の宮。
西の正倉院
内部を非公開とされてきた奈良正倉院を復元。百済王族の遺品といわれる24面の銅鏡をはじめ、奈良正倉院と同一の銅鏡等を展示しています。
椎葉村
柳田國男が村に残る焼畑農業の記録や狩猟の作法などを『後狩詞記』にまとめました。「民俗学発祥の地」といわれています。平家の落人伝説も残っています。